ヒューマン・バリュー(人間の価値)シリーズ2

『幸せになる』~明日への対談~が聖心女子大学内で開催された。
今回は元局アナの友人からダライ・ラマ法王の一番下の妹のジェツン・ペマ先生永田先生をご紹介頂き、対談を聞くためだった。
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対談が始まる前に楽屋にお邪魔させていただき、ペマ先生と永田先生ご両名にご挨拶させてもらった。
ペマ先生から言われた一言pi-s
「Mr.katoのしている活動。青少年の更生は並大抵のエネルギーじゃできないわネ。Mr.katoのエネルギーの源はどこなのかしら?」
う~ん。おれもあとで考えてみたけど??
「慈悲」とか
「繋がり」とか
「責任」とか
「使命」とか
「役割」だろなぁ
まぁ~とにかく難しく考えなくても
やらなきゃならないからやるんだけなんだよなぁ
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おれの活動も知っていてくれて嬉しかったキラキラ
講演の内容には「じっとはしていられない」繋がりを感じた。
中国政府の厳しい包囲網を命がけでくぐり抜け、チベットから10日間もかけ20キロの深い雪山を乗り越えてくる5歳ほどの子供たち。
寒さで死んでしまう子供や凍傷で手足を切断する子供もいる。
そんな過酷な状況のなかチベットからインドへ命がけで亡命してくる子供たち
まだ5歳くらいの女の子に10日間の過酷な長旅旅行は疲れたか?と聞くと
「ううん」
女の子はたった一言。
「お母さんに逢いたい」
泣きながら訴えかけている涙
いつ再会できるか分からずに我が子を亡命させる母親。
これがチベットの現状しゅん
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しかし、中国はチベットに自由と繁栄を与えたと強調する。
チベットの首都ラサにあるポタラ宮殿は40年間ダライ・ラマ法王を待ちわびた。
1959年中国が侵入したときに最初に亡命した宗教的リーダー。
それ以来ダライ・ラマ法王を追い10万人のチベット人がインドへ亡命している
亡命者のほとんどが学費が高すぎて学校に行けない子ども達。これは人民の抵抗を防ぐための中国の政策だという。
未来を閉ざされた子どもたちに国の文化を後世に伝える術はないあせあせ
それを懸念した法王と妹はチベット人がインドで教育を受けられるように教育機関を設立した。
毎年400人以上の子どもがヒマラヤ山脈を越え………子供たちにとっての良い教育制度や良い環境を求めて子供村に亡命してくる
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親は子供の死を覚悟で亡命させるのだと言う……
そこまでして子供をインドに行かせるには…
そこまで覚悟した理由があるのだろう。
現在、11ヶ所の子供村
いままでに1万2千人の子供たちが育っているboy
無償で教育の場を与え
施設という環境を提供することが責任だと
ダライ・ラマ法王は言う。
北インドインドの避暑地ダラムサラ
そこにチベット子供村がある。
ここで子供たちは学校学校に通う。
今回お逢いしたダライ・ラマ法王の一番下の妹ジェツン・ペマ先生はチベットの子供たちに一生を捧げている
ペマ先生は子供たちから“お母さん”と呼ばれている
親の愛情が必要な5歳~6歳の子供たちを遠くへ送らなきゃならない両親の気持ち
一生会えないかもしれないと知りながら、我が子を送るその気持ちを考えるのは容易なことではない
愛情から生まれた犠牲。
子供を命がけで送ることは決して捨てることではない。
我が子を愛していないのではなく、愛するからこそできる限りのことをしたいのだと思った笑顔$加藤秀視オフィシャルブログ by Ameba
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
~難民の子どもを平和の使徒へ育てる母~ジェツン・ペマ先生 Jetsun Pema。
祖国チベットを逃れ、難民という苦難を背負う子どもたちを自他ともに輝く幸せを築けるように導いて50年。ひとりひとりの子どもに愛情を注ぎ、元気で思いやりのある人間へと育てあげてきた偉大なる教育者であり“チベットの母“。
1940年、ダライ・ラマ法王14世の妹としてチベットの首都ラサに生まれる。
1949年、中国共産党による侵攻を受けインドへ亡命。1951年、ダージリンのカソリック系ロレート修道院入学。1961年、スイス留学。インド、ダラムサラに設立されたチベット難民児童保育園の園長、姉のツェリン・ドルマ女史の亡き後、1964年、チベット難民児童保育園を引き継ぐ。1972年、チベット子供村(Tibetan Children’s Village)創立。校長に就任。1990年、チベット亡命政権内で初の女性大臣に就任。1995年、亡命チベット人民評議会代表者たちにより「チベットの母」なる称号を授かる。2009年、TCVの校長を退き、現在、南インドのバンガロールに開校したチベット難民のための初の大学の充実と運営に尽力中。
主な受賞歴
1991年 「ヘルマン・グマイナー賞」受賞
1999年 「ユネスコメダル」受賞
2000年 「国際モンテッソーリ教育と平和賞」をイタリアにて受賞
2001年 「勇気ある女性賞」をイタリアにて受賞
2006年 「世界子ども大賞」をスウェーデンにて受賞
2008年 「バハラット・ジョティ賞」をインドにて受賞
イタリアのティエーネ市より「名誉市民賞」と数々の賞を受賞する。
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そしてもう一人……
~未来社会の調和を目指す研究者~
永田佳之先生 Yoshiyuki Nagata。
いじめ、ひきこもり、自殺、家庭不和、社会不安-----。深刻な問題を抱える日本で、共生と調和、そして持続可能で平和な未来社会を目指し、ホリスティック(全体的)な視点から21世紀の教育のあり方を提唱。持続可能な未来をになう研究者であり教育学博士。
1995年、国立教育研究所(現 国立教育政策研究所)内のユネスコ協同センター職員としてユネスコ等との国際事業にたずさわる傍ら、NGO活動を開始。南米ボリビアのNGO「学び舎づくりの会」の代表として、標高4千メートルでの学校づくりに現地の村人と共に取組む。2007年より聖心女子大学にて持続可能な開発のための教育(ESD)や国際理解教育などを教える。日本国際理解教育学会理事、開発教育協会評議員、日本ホリスティック教育協会常任運営委員、フリースペース「たまりば」理事などを務める。専門は、国際理解教育、国際教育協力、持続可能な開発のための教育(ESD)、ホリスティック教育論など。同時多発テロ事件後の国際理解教育のあり方を論じた論文、「国際理解教育をとらえ直す:グローバリゼーション時代における国際 理解教育の再構築に向けて」にて、第29回「国際理解教育賞最優秀賞」を授賞。著書は『国際教育協力を志す人のために:平和・共生 の再構築へ』(学文社)『持続可能な教育社会をつく
る:環境・開発・スピリチュアリティ』(せせらぎ出版)『オルタナティブ教育:国際比較に見る21世紀の 学校づくり』(新評論)『持続可能な教育と文化:深化する環太平洋のESD』(せせらぎ出版)『「私なら、こう変える!」20年後からの教育改革』(共著:ほんの木)、『未来をつくる教育ESD:持続可能な未来をめざして』(共著:明石書店)など。
たくさんのメッセージ・コメントありがとうございますo(^▽^)o
シュウシバイブルライン
shushi_kato@yahoo.co.jp