命の使い方は自分の自由か?

おれの経験談だけど…
たまに感じることがある。
自分がそれなりに豊かになり、良い人間関係や、良い環境に恵まれた日々の中に身を置いている時って……
自然と気持ちが緩んでしまい、ビジョンや信念や目的といったものを見失いがちになるときがある。
船でいえば出航するときは目的地も明確で、漕ぎ手達も気合い全開で信念があったのに波に乗って流れ流れていくうちに、
天気も毎日晴天。
運航も順調。
仲間とも毎日楽しく優雅に過ごしているうち……
さて?目的地に行かなくてはならない理由ってなんだったけ?って、感じになるときってあるよな。
もちろん、本人たちが幸せなのはいいことだろうけど、
自分たちだけが幸せなのが本当の幸せとは言えない場合もある。
最近よく考えることがある。
自分にとっての幸せって?
自分だけが良くなることか?
自分と自分に関わる人たちだけが良くなることなのか?
自分は不幸でもいいから、自分以外の人たちが良くなって、と願うことか?
幸せの捉え方ってひとそれぞれ違うだろうな。
おれは自分の幸せが大事だ。
自分の幸せが大事。
だからこそ関わるひとたちはもちろんのこと。
世の中のためや、人の役になるような思想と志と信念を持って活動を命がけでやる。
俺はそれが一番幸せ。
自分の命を、自分のためだけに使うのではなく、愛する人や世のため、人のため。
「未来」や「徳」や「志」「愛」や「希望」に繋がるように全力で投資する人生。
責任が大前提だが……
自分の命の使い方は俺の自由。
カッコつけるために言ってるわけじゃないし、誰かに評価してほしくもない。
俺はそれが自分のためだと本気で思っている。
人は不遇の中に身を置いている時って、
それを乗り越えるために、高い理想を掲げ、明確な信念を持って、突き進もうと伸びていくもの。
ただ不遇の中にいるときに頑張る陰のエネルギーと、世のためや、人のためになることを残そう!繋ごう!という陽のエネルギーとでは長期的な観点では天地ほど差がでる。
「間違ったことを考えてもいい。だだし、いつでも自分のために考えなさい。」
加藤 秀視