たまには弱音を吐いてもいいか

こんにちは。
加藤秀視です。
激戦のスケジュールが続く……
ネクタイなんてしたくねえ。
心が折れるか、それとも心が更に鍛えられるか。
体が壊れるか、それとも更に体を鍛えあげるか。
まぁどちらにせよ、やるのみ(笑)
今年は、既に5千人を超える方々にメッセージさせてもらってる。
有難いにゃー
日程が合わず、講演のご依頼を受けることができなかった方々には申し訳ない気持ちです。
多くの方々に用いていただいていること、
本当に感謝しています。
前回の記事同様、今回もそこらへんの本質を独自の観点で伝えていきたいと思う。
あくまでも独自なので。
良い子は真似をしないように(笑)
いつも感じるがエセって本当にたくさんいるんだなぁー、とつくづく思う。
エセ講師、エセ教師、エセコーチ、etc……
それと、そういうエセをまともに信じてしまう人も。
どうしてエセを信じてしまうのか?
結局、自分の信じるものがないからエセにコントロールされてしまう人生を生きるハメになる。
信じるものっていうのは、自分の大切にしてる考え方とか、軸とか、絶対譲れないものとか、世界観や信念信条とかそういうものの類。
それがないから、いつも答えを自分の内ではなく、自分の外に探し求める。
でも答えは見つからない。
人生の迷路ってやつ。
自分の感情も考えさえも他人に依存し、自分の信じる軸で生きてるわけじゃないから、すぐに誰かや何かコントロールされてしまう。
そういう人は答えを誰かに与えてもらおうと思っているから、すぐに依存したり、いきなり信じるものが変わったり、信じては疑ったりと心の状態がバラバラ。
しかも、自分の都合のいい答えだけを受け取り、都合の悪いものは誰かのせい。
自分の軸を作るためには、他人の答えを鵜呑みにしない、ということが大事だ。
キッカケや参考にするのは良いが、一旦止まって、自分の中で解釈して、自分の頭で考え、答えを導くことを大切にする。
なぜなら、多くのエセは自分の都合のみでああしろこうしろだの、無責任なことや効果がないことを言いたい放題言ってる。
そんなものをいちいち鵜呑みにしていたらブレブレになっちまうぜ。
例えば、「批判するな!成功者は批判しない」なんて言うエセがいるけど、俺から言わせれば、そんなのはそいつの綺麗事で都合のいい話だから。
はっきり言うけど。
批判は別にしちゃいけない、ってわけじゃない。
確かに、批判によって自分の心を蝕んではいけないぜ。
だが批判をする、っていうのはその人が不幸感を感じてる可能性がある、ってこと。
もしかしたら、ゆとりがない人なのかもしれない。
心とか、人とか、金とかにも。
そういう状況下にある、ってことかもしれないってこと。
それに、世の中には批判せずにいれんことだって山ほどある。
子どもの命を簡単に奪うバカ親、若者の可能性をつぶすバカ上司とその会社、人を平気で騙し甘い汁ばっか吸おうとしてる腐った連中……そういう連中を批判しないのか?って話。
俺は親父から虐待され施設で育ってきたが、子どもからすればそういう親や環境を批判せずにはいられないんじゃないのか?
世の中には批判しなきゃ伝わらないことだってたくさんあるんだよ。
時には戦わなきゃいけないことだってがあるわけだ。
新しいことやものを創造するために破壊しなきゃいけないこともあるんだ。

なのに、間違ってるものは間違ってるとはっきり言わなくてどうするん??
批判しちゃいけない!なんて偉そうに言ってるやつの都合だから。
だから「何のための批判なのか?」っていうことだろ。
それを「批判するな!成功者は批判しない」なんて言ってたら、間違ってる人間やおかしいことやってる輩になんも言えないことになるだろ。
そもそも成功する人は、批判したって批判しなくたって成功する人は成功するから。
そういうことを偉そうに言うエセほど、自分や自分のしてることを批判されるのが怖いだけ。
あと、「感情をコントロールしろ!」とか言う人もね。
確かに感情をコントロールすることは大切だ。
感情をコントロールすることで怒りや悲しみも喜びもエネルギーに変わるから。
だが、ほとんどの人が音楽やセミナーや「外的な刺激」に感情をコントロールされてる。
分かる?
コントロールしてるんじゃなくて、されてるんだよ。
俺だって人と会ったり音楽を聴いたり、ライブに行ったりしてモチベーションが上がることもある。
この前も友人のTeeのライブに行ってきたが、最高だったし高揚した。
だが、良いとか悪いとかじゃなく、この気持ちはいずれ消えてしまうもの。
ずっと続くものじゃないんだよ。
俺のエネルギーや感情の源泉は、最高の同志の存在。勝たせるという想い。
自分の言ったことやってることにおとしまえをつけてやる!という他人からすればどうでもいい俺のこだわり。(笑)
腕一本切り落とされても絶対成し遂げてやる、っていう志と自尊心。
日本人なら大和の生き様だよ。
もっと言えば、そこまで自分を高めてやりたい、っていう自己愛なわけ。
にも関わらず、感情をコントロールしろ、なんて言うエセは他人の感情をコントロールしてるだけ。
自分で感情をコントロールしてるんじゃなくて、他人にコントロールされてるわけだ。
一時的ならまだしも、そもそも感情やモチベーションなんてものは、長期的に考えても外からコントロールされたりするものじゃない。
ここを多くの人が履き違えてる。
ライブで気持ちが盛り上がるのも、セミナーに出てモチベーションが上がるのも、人と会ってエネルギーをもらうのもいいだろう。
だが、絶対に間違っちゃいけないのは、その感情は一時的なものだってこと。
そこに依存すればするほど、落ちることになる。
祭りの後の静けさのように。
結局、そのときに一番傷ついて、苦しむことになるのは自分なんだぜ?
本物のエネルギーは自己愛からしか生まれないってことをいい加減知らなきゃ。
人の答えを鵜呑みにして、答え探しばっかしてたらいつまでたっても自分の軸なんてできやしないから。
じゃあどうやって自分の軸を作るのか?答え探しをやめるのか?って言ったら、「自己の覚醒」しかないわけ。
よく自己啓発では「限界突破」なんて言葉が使われるが、本当に大事なのは「自己の覚醒」
限界突破はその場のその瞬間だけ高いパフォーマンスを発揮するだけであって、覚醒が起きない以上、大体元の生活に戻るから。
教育や自己啓発の真の目的は「自己の覚醒」だから。
フォロワーを作らない。依存者を作らない。内在する力が解放された自立した人を輩出していく。
それが自己の覚醒。
俺はここに辿り着くまで、それなりに苦労したと思う。
自己投資にも何千万とかけ、絶対変われないと言われた子ども達とも何千人と本気で向き合ってきた。
そうやって辿り着いた答えが「自己の覚醒」なんだ。
「批判するな」とか「感情をコントロールしろ」とか「感謝をしろ」とか全部エセの教えなわけ。
感謝だって、自分が不幸のどん底で満たされていない人は普通にできないからね。
生き甲斐を感じ、愛を感じ、幸せを感じるからこそ、感謝は内側からあふれてくるわけだから。
だから、一生一緒に生きていく自分を愛してやれ、っていつも言ってる。
こんなのを信じれば信じるほど、心の中で批判してる自分はダメなんだとか、感謝できない自分はダメなんだとか、思うようになってドンドン依存者になってフォロワーになっていくからな?
ドンドンドンドン小さい人間になって、ドンドンドンドン枠にはまった人間になっていくぜ?
悪いけど違うから。
そんなの全く関係ないから。
俺は別に批判をしろとか感謝をするなって言ってるわけじゃない。
そういうことは全部自然にそうなるようになっていくものだ、って言ってるだけ。
自分を愛し幸せを感じるようになっていけば、無意味な批判だってしなくなるし、感謝だって生まれてくるし、感情だって自分でコントロールできるようになる。
だから「自己愛」「自己の覚醒」って言ってるわけ。
俺はこれからも自分の成果を追求していくし、メッセージし続けていく。
なぜなら、一人でも多くの人にフォロワーや依存者としてではなく、自分の人生を生きてほしいから。
そのために、愛を伝え、真実を伝え、世の中の間違った常識や人を縛る鎖をぶっ壊していく所存であーる。
そう言えば、今日のタイトル。
たまには弱音を吐け!と色々好き勝手に言われるが、弱音を吐くほど苦しんでない。
オラは楽しんでるのだ。
氣愛!
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