「大丈夫」はぜんぜん大丈夫じゃない

こんにちは。
加藤秀視です。
昨日は久々に筋トレしたけど、それにしても8パックはまだ遠いなぁ~(笑)
最近は忙しくてちょっとサボりすぎた。
今日は「大丈夫」は大丈夫じゃない!ってテーマで。
フェイスブックの発信やメディアによく出てる、カウンセラーやコーチみたい人の言葉を聞いていると、よくあれこれ例えや論理を伝えて結局最後は 「大丈夫!」なんて言う人がたくさんいる。
確かに話を聞いていると「なるほどな~」と思える部分があったり、上手に伝えるなー、なんて思う部分もあって、安心感や安堵感を覚える人も多くいるんだろうな。
だが、オレから言わせればこれってエセな奴らの必殺技。
オレは幼少期、施設で育ったこともあってよく施設のエセな大人たちに「大丈夫だよ」「もう少しでお母さんが迎えにきてくれるからねー」なんて言葉を何度も聞かされた。
そのとき、子どものオレはどう思ったかって言うと、
「あ、そうか大丈夫なんだ」
「もう少し我慢しよう。もうちょっと待とう!」

ってマジで思った。
でも実際は、いつまでたっても来やしない。
すると、どう思うようになる?
全然大丈夫じゃねえよな!
結局、迎えに来ねえじゃんよ!
お前ら嘘つきだよなー!

って子どもながらに思うわけよ。
もしそのとき、誰か一人でも真剣に向き合ってくれる大人が、
「辛いけどお母さんは来ない。でも私達が一緒にいるから!」
って、はっきり言ってくれてたら、そのときは辛かったかもしれないけど、よっぽどそっちの方がよかったと思う。
今どきの、カウンセラーやコーチみたい人の言動を見るとそういう奴らとよく似てる。
やってることは、ストレスの緩和とか一時的な癒しとかそういうのがメインなのかな?
確かに、これによって一時的に救われる人や一時的にいい方向に向かおうとする人がいるのも事実だろう。
だけどさ、ぜんぜん大丈夫じゃないこともめちゃくちゃあるわけよ。
そうなると「大丈夫だよ」って言われても、段々「ぜんぜん大丈夫じゃねえじゃん!」ってなってきて、大丈夫って言われても、今度はその言葉に疑いをもち始め、大丈夫って言ってる人を疑い、次に自分自身も疑い、最終的には周囲に心を閉ざして「こんなもんだよ!」って思うわけ。
だから依存心バリバリのフォロワーが増えるんだぜ。
「大丈夫」って言うのもいいんだけど、オレはそういうエセカウンセラーやエセコーチみたいな奴らの逃げ口上がフォロワー作りに感じるし、それって違うんじゃねえの?って思う。
その人の未来を本気で考えてやれば、大丈夫だよ!って言葉じゃなくて、もっと違うものが生まれてきてもいいはず。
実はオレも昔はよく「大丈夫」って使ってた。
そのときのオレは、それ以上に目の前の人をいい方向に導くやり方を知らなかったから。
目の前の人を安心させること、ストレスを解放してやることしか知らなかったから。
まぁ、本当に大丈夫なら、もちろん大丈夫って言うけど。
逆に言えば俺が大丈夫!って言うときは本当に大丈夫なときだけ。
でも、あるとき思ったのよ。
この関わり方ではこの人の現実も未来も何も変わらないんだ!って。
それは、そのときそのときの一時的な「薬」でしかなく、根本的な「解決」にはなってないと。
一時的な安心という薬を与えるだけじゃなく「本人の覚醒」を促すことでしか真の解決にはつながらない。
結局カウンセラーやコーチは変わりたい人を変えようとするだけで、変わりたくない人さえも変わりたくなるような、衝動やエネルギーや生き様は、そもそも持ち合わせて無い。
綺麗な言葉や比喩ってのはな、誰もが言えるわけじゃないが、それじゃ人は根本から変わらないんだぜ。
結局、カウンセラーやコーチはフォロワー作りにせいを燃やし、最終的にはクライアント任せ。
覚醒を体感させてやれないわけだ。
だって「力」とか「真実」とか「未来」ってものは結局クライアントの中にしかない。
それを覚醒させない以上、クライアントの未来は過去のまま何も変わらずどこまで行ってもフォロワーのままなんだ。
オレも本当にたくさんの心理学や自己啓発を見てきた。
だが、どれを学んでも答えなんてない。どれも教えてる人が「衝動ゼロ」「実用性ゼロ」「魅力ゼロ」で「オールゼロか!」って。(笑)
はっきり言えば、本人の自慢話の結果論で、使えない学びってこと。
学べば学ぶほど、枠にハマる、他人と比較する、成功を煽られるだけで心の底からエネルギーが湧き上がらんのだから。
結局、人をいい方向に導こうと思ったら、どんな心理学の知識を持ってるとか、資格を持ってるとか、全く関係ないんだよね。
その人自身が、どれだけ深いレベルで人のことを理解してるか?
本人の力を覚醒に導けるか?それしかない。
本人の体感レベルしか他人にも伝わらないんだ。
どれだけ言葉巧みに上手に伝えようとも、気付きや学びを与えようと思っても、それは所詮ただの言葉遊びであって、本人の中の力を覚醒させてやらなければ何の意味もない。
自分のことを落として言うのもクソミソ言うのも構わないが、ただの言葉遊びになってたら何の意味もないってこと。
大事なのは徹底的に自分に向き合うこと。クライアントに向き合うことだ。
ダメでも失敗してもビビってもいいが、向き合うことからは逃げちゃいけん。
向き合うことから逃げたら、自己の覚醒が起こせないから。

人はなぜ病気になるか?
医学に精通してるわけじゃ無いから断定はできないが、だいたいは免疫力が落ちてるからだろ。
今の時代、すべての添加物や化学調味料を全部排除しようとしたって無理。
それよりも、自分の免疫力を高めて毒を外に出す、異物に負けない体を作ることが大事なんじゃねえの。
心も全く同じ。
人がなぜ心を病むか?と言えば、「自分力」が弱まってるから。
人は誰しもとてつもない純粋な力を持ってる。
だから、それを目覚めさせることが何よりも大事。
それができんのに一流カウンセラーとか一流コーチ面すんなよ!って感じだよ。
してもいいけど、手前に「三流」をつけとけ。
俺もいろんな言葉を尽くして人に安心を与えたり「大丈夫だ」って言うことができるかもしれない。
でも、俺が辿り着いたのはそれよりも「自己の覚醒」を促すことであり「純粋意識」に導くことだった。
だから、メッセージに安心や癒しを得るだけじゃなくて、その奥にある自分の本来の価値、自分の本来の力に気付くことが大事じゃないかなと思う。
そろそろ「自分力」に気付けよ~!
氣愛!!
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