手術から2ヶ月と、小さな決意

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ご無沙汰してます。加藤秀視です。
術後から2ヶ月が経ちレントゲンの定期検診でも、全く何の問題もなくリハビリ兼トレーニングの日々です。笑

あと1ヶ月もしないうちには元通りになっていくんじゃないかと。回復も尋常じゃないほど早いスピードで自分の身体に感謝だし、毎回毎回支えてくれる仲間たちやお世話になっている先生方にも心から感謝だなーって思います。

今回おれはガラにもなくすごく反省してて、今更だけどここからの人生を改めて更生しようと心底思ってて。笑

そして「トコトンやったる」ってことも更に深く決めた。

運よく!鎖骨を複雑骨折


他にも同じ時期にレースに出てた日本人の方で、自転車事故で亡くなってしまった人がいたらしい。また、おれが入院する1週間前にも同じような事故で若い男の子が運ばれてきたらしく、その子は全身不随になってしまった。

なんて言葉にしていいかわからないし、本人や身内の立場になれば何とも言いがたい出来事なはず。それを例にするわけじゃないが、おれは鎖骨4箇所の複雑骨折だけで済んだ。同じような事故であっても、たまたまこうやって助かった。

だが、世の中にはそうじゃない人もたくさんいる。全身不随になってしまう人もいるし、亡くなってしまう人もいる。例えそれが、ちょっとした事故であっても。おれは死ななかったわけだし、全身不随にもならなかった。

いまだってピンピンしてる。
そう考えると、おれは運が良かったのか、何が良くてこうなったかはわからないが、結論は

「生かされた」

わけだよね。

そう感じたとき、おれは今まで何をやってたんだろうな?って思った。もっとできることがたくさんあるはずなのに、もっともっとやれることがたくさんあるはずなのに、おれは一体何をやってたのかなって。

それは病院で動けなくなったとき、怪我をして自由が奪われたときに初めて、まじまじと感じた。

「おれは生きてるのに、活きてないじゃん」

みたいな。自分をぜんぜん活かし切ってないって思っちゃったんだよね。

死ぬときの後悔


仮にもし自分が全身不随や死んでしまっていたとしたら、絶対に後悔が残ったと思う。それは自分がやり切れなかったことに対する後悔だと思うんだよ。

本当に人の役に立ったのか
社会の役に立ったのか
大事な人を大切にできたのか
子どもたちに何を遺せたのか
仲間たちを勝たせられたのか

って、きっと自分を責めただろう。

それは事故を起こした相手を責めるとか、バイクになんか乗らなきゃよかったってことじゃない。やり切れなかったことに対して、おれはめちゃめちゃ後悔すると思った。

たとえ後悔しない生き方を選んでも死ぬときに後悔することってたくさんあると思うが、おれはそういう後悔だけは絶対にしたくない。何の後悔かって、自分を全力で使い切れなかった後悔。

おれは死ぬこともなく全身不随にもならなかった。だから、再度自分をリセットして、全てをゼロにして、もう一回自分を生きよう、やり切ろうって、今回の出来事で心から思った。

「全てをゼロにして」


今までそういう言葉ともたくさん出逢ったし、そういうことを言ってる人とも出逢ったことがあるが、そのときは「なるほどね」と思っただけで、本当に心の底からそう思えたことなんてなかったと思うんだよ。

この感覚は、おれが裏の世界から表の世界に社会復帰しようと誓った28のときの感覚によく似てる。

本当に自分を変えたくて、海外や色んな所に行って色んな研修を受けまくって、まさに人生のドン底でもがいてたときに、絶対に自分の人生を変えるって思って動いた時とよく似てる。

もちろん今はそのときと違って、戦友もいるし資金もリソースも実績もゼロじゃない。
でもその甘えがおれの「甘えの人生」を作ってるなって思った。

おれは超運よく命も助かって、そして不随にもならなかった。だったら再度自分をゼロにして、もう一度やろうって思った。

心から本当に、もう一回トコトンやろうって。
自分ができることと向き合おうって。

おれは更にもっと人の役にも立って、もっと社会の役にも立つことが与えられた命の使い方だと思ってるし、その天命を果たさず死んでいくとか、天命を果たさずして機能不能になるなんてことは一番本望じゃないこと。

おれは本望に生きたいというか、本望に命を使いたい。
そんなことを改めて、つくづく思いました。

やり残さない人生を


おれは今39歳で、今年で40になる。まだまだ身体もしっかり動くし、20代や30代前半とは違い、ここから更に出来ることが増やせる。

だからこそ、これからの人生はやり残しのない人生を送る。おれはやり切れなかったことに一番後悔するから、だったらやり残さない人生をトコトン生きてみようと心から思いました。

これからの人生はそういう道を全力で生きていくので、ぜひこれからも温かいご支援と、そして関り合いをお願いしたいなと思って、改めてこれからの決意と感謝の言葉に代えさせていただこうと思います。

小さすぎる全ての実績も、小さすぎる何かに選ばれたことも一度全て捨て、リセットして、全部ゼロだと思ってこれからやっていきます。

おれは何があっても何が起きても超運がいいしツイテル方だけど「ツイテル」って言ってるだけじゃ何も変わらんのよ。本当の幸運やツキは、突き抜けた純粋性から起こるものだからね。

ついに!公式HPをリニューアル!


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そうそう!ちなみにリニューアルした新しいサイトは、どうでしょうか?

これからはこのサイトの中で色々と発信していこうと思いますので、サイトもおれのことも末長くよろしくです!

このサイトの写真は、フォトグラファー・平野タカシさんが、手掛けてくれた作品なんですが、これでバカでかい男にならなきゃ絶対ダメだろう!とプレッシャーバンバンです。笑

平野さんの存在感とカリスマ性が自然とそうさせるんですよね。

平野さんとの撮影中は、正直なんとも言えない。
こればかりは言葉で説明したら安くなるのが嫌なのでここはあえて控えます。

ただ言えるのは、平野さんは本当にやばい本物中の本物のフォトグラファーだと言うこと。

もちろん、世の中には素晴らしいフォトグラファーさんもいらっしゃると思いますが、撮られた個人的な感想は「別格」だと思います。

平野さんは、当然ながら実績も物凄いですが、個人的には日本のロックシーンに多大なる影響を与え続けたあのBOØWYの氷室京介氏を撮り続けることを許されたすげえ人で。

ここから記事抜粋と合わせていきます。

MEMENT


今作の始まりは、1998年よりライブを中心に氷室京介の一瞬をファインダー越しに切り取ってきたフォトグラファー・平野タカシが、丸2年の歳月をかけてN0.I~Xまで、それぞれ1冊ずつ全10巻におよぶ写真集『MEMENT』を作りあげたこと。

さらにその10巻から写真を厳選して1冊にまとめ、私的な感謝の思いで氷室京介へ贈ったところ、それを見た氷室本人から「ファンのために市販化してもいいのではないか」という話があがり、

『MEMENT KYOUSUKE HIMURO TAKASHI HIRANO 1998-2015』

という写真集の制作、販売が決まった。

中面は氷室京介に贈られたものと同じ内容となり、加えて、市販化にあたり平野タカシのディレクションのもと、装丁と仕様をスペシャルなものへとしている。

さらにライブ時に氷室京介写真が付けていた香水をもとにしたオリジナル・インセンスを封入。まさに“氷室京介という人間の本質”を投影した、豪華保存版の1冊となっている。

また、7月2日(土)からは、代官山 蔦屋書店とHMV&BOOKS TOKYOにおいて、オリジナルの『MEMENT』の展示も決定。

Yahooニュースはこちら

MEMENT
(画像はインターネットから拝借)

このタイミングを逃すと絶対に手に入らない超レア・アイテムだと思います!

おれも買うけどぜひ一度確認してみて必ず購入してください。
レア作品+被写体は氷室氏+フォトグラファーはカリスマ平野さん。

どう考えても、この作品を持ってて運が良くならないわけがない。
買うべし。

氣愛!

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