夢が叶わない正体ってこれ

こんにちは。
加藤秀視です。
以前も「ドリームキラーより数段ヤバい者の正体」というタイトルで書いてみたので、こちらもぜひ読んでみてちょ。笑
HPもリニューアルしたので、ぜひ見てやってください。
リニューアルしても何をやってる人か?さっぱり分からんけど、人材育成アーティストとしての自分を少し表現できたと思ってるので。
http://shushi.jp/
いい感じじゃな~い、と自画自賛♪
ま、オレじゃなくて、制作チームが良すぎるとこうなるんだぞぉ~(笑)
自分とは一体何者なのか?それをこうして表現していくことは重要なこと。
人はその人の表現を通してその人を見るから。
それでは本題。
オレは年間を通してトークライブや講演をさせてもらうことが多く、学校、少年院、刑務所、企業、団体、教育委員会など、そこそこ幅広い分野でメッセージさせてもらってると、我ながら思う。
確か?2年ぐらい前の中学校だったかな~
トークライブのときに、オレの前にもう1人スピーカーがいてさ、その人は「夢は必ず叶う」なんて感じのテーマでメッセージしていて、
こんな感じの話をしていた…
「夢はどうしたら叶うと思いますか?口にプラスマイナスと書くと『吐』という漢字になります。
人はプラスのこともマイナスのことも喋りますが、マイナスのことを話さなくなるとプラスだけが残って、夢は必ず『叶う』んです」

みたいなことを。
当時この話を聞いたとき、素直になるほど~。
うまく言うな、と思った。
漢字って、成り立ちに深い意味が込められたものもたくさんあるし、昔の人が何か意図を込めたのか、それとも現代人がうまく都合良く解釈したのか分からないが、どちらにせよ「素晴らしいことだな」と思った。
ただ、内容自体には「ん~?」だった。
確かに漢字の造りを見れば、「吐」から「-」を消せば「叶」になるけど、それで夢が叶うかどうか?って言われたらたぶん叶わないだろう。
人前で話すスピーカーの中には、ただその場その場でいい話をすることが目的で話すとか、本質をほとんど理解しないまま誰かの言ったことを受売りのまま話すとか、ただうまい話をするだけで比喩や話が上手なだけの人も少なからずいる。
こういう話しを聞いた人は、「そうなんだ」って素直に信じる人もいれば、オレみたいに「なんでそうなんの?」って疑問を持つ人もいる。
こういう方向性で話をする人は、話をすること自体や、聞き手を理論で圧倒させること自体に満足感を得ていて、「なぜそうなるのか?」という本質やプロセスをちゃんと理解してアウトプットしていない人が多いな~と感じる。
オレも昔よく言ってたことがあって、例えば「難」という漢字がある。
「難」っていうと「困難」「苦難」「災難」とかネガティブなイメージで、誰もが避けたいと思うだろう。
だが、「難」が「無」くなってしまうと、「無難」になってしまう。
無難な人生、それは本当にいい人生なのか?無難に生きていくことが本当に幸せなのか?と聞かれればそう思わない人もいるかもしれない。
逆に、「難」が「有」るからこそ「有り難う」「有り難い」って感謝を感じることができる人もいる。
この話だって本当に大事なのは、漢字の成り立ちとか、うまく言ってるところじゃなくて、本当に難があることに感謝できるかどうか?なわけよ。
こういう話は、話してる方は気持ちいいよね、相手を言葉で圧倒させられるから。
でも、それが聞き手の活きた力になるか?と言われれば分からない。
オレはこの夢の話だって違うと思ってる。
前から言ってるけど、夢が叶うとか、叶わないとかに意識を向けるんじゃなくて、夢を叶えてやりたいと心からそう強く思える自分になることが正常で純粋な意識。
自分に夢を持たせてやりたくなることは、特別なことではなく純粋なこと。
だから、外から持たされる夢は全部空想でニセモノなんだって。
大人のエゴで夢を持て夢を持て!という風潮が子ども達に無言のプレッシャーや強迫観念を与え、立派な夢を持たなきゃいけない、なんて想念を植え付けて、社会は競争社会で相手を責めたり蹴落としたりするのが当然という現実を創り出してる。
子どものうちから夢を持っている子や叶えた子は評価され、そうじゃない子は評価されにくくどんどん自己肯定感が失われていく。

オレも昔は「夢を日本の文化に」という言葉を掲げ、全国で講演をやりまくっていた時期もあった。
そのときはそれが最善だと思っていたが、今振り返ってみれば、夢が叶うのは結果論であって始まりじゃないんだな、ということを知るようになった。
話を戻すと、どうしてマイナスなことを言わなくなってくると夢が叶いやすくなるのか?と言うと、単純に自分を責めなくなってくるからでしょ。
だから、今夢があるにも関わらず、自分のことを責めてるとかマイナスなことばかり言ってる人にならこういう話も有効なのかもしれないが、まだ夢がない人とか持ててない人には全く通用しないわけ。
そうじゃなくて、「自分を責めるな!」ってこと。
自分を責めれば責めるほど、知らず知らずに他人を責めるようになり、自分が嫌いになり、他人も嫌いになる。
もっと言えば社会も責めるようになり、嫌いになり、希望が絶望に変わる。
だってそうでしょ?
自分を責めるってことは、「お前なんて無理だ」「お前にはできない」「お前には価値がない」って自分に言ってるようなもんなんだぜ?
もし、毎日他人からそんなこと言われたら、どうよ?絶対言ってくるヤツを嫌いになるだろ?
好きになれる?期待が持てる?無理でしょ。オレなら殴るね~ボコボコに(笑)
そうやって自分のことを嫌いになってしまうと、どうなるかわかる?
自分に夢を持たせようなんて思えなくなっちまうんだ。
「どうせ夢なんて叶わないんだ」「自分は夢なんて持っちゃいけないんだ」「夢なんて自分には関係のないもの」って大前提で思っちゃうんだよ。
自分の愛とか勇気とか才能とか力とか、本来の可能性を全部ダメにしちゃうわけ。
だから大事なのは、夢を叶える為にはマイナスを言わないとか、ネガティブなことを言わないとか、そういうことじゃなくて、自分を責めないこと。
だからオレは「自分を愛する技術」って本を書いてるんだぜ。
自分を責めるのをやめるということは、自分で自分を解放するということだろ。
自分を責めるのをやめる、他人を責めるのをやめる、社会を責めるのをやめる。
そんなダサいコトはすぐにやめちまえ。
いい?オレはもうこれで人生終わった…!って場面を人より何度か多く経験したけど、実際に人生が終わったことは一度たりもない!。
むしろ、最悪を機に人生がはじまったぐらいだ。

だから、責めるなら道を変え、やり方を変えろ、自分の選択も意識も変えろ。
責めるなら手放せ、離れろ、組む人を変えろ、責めるぐらいなら戦え。
どんなに責めても百害あって一利もない!ということを知るんだ。
するとこれでいいんだと思えるようになる。
本当のスタートも勝負もそこから。

そもそも責めてるヤツは責めてるクセに自分への責任感とか正当化が強すぎ。
責任なんて気にするな。他人はなんだかんだ綺麗事ほざくけど結局は無責任。
自由には責任がつきまとうワケだし、自分のケツは自分で拭くしかねえんだ。
だったら無責任に自由に生きろ。
だから我儘ぐらいがちょうどいい。
これも漢字につながるけど、「我のまま」って書いて、我儘って読むんだろ。
自分は自分以外の何者でもない。ガンガン行くなら自分を超越するしかない。
だから自分の人生を我がままに生きるんだ。
自分を責めてるうちは不安と怖れに支配されてるから、そこに愛は絶対に存在しない。
自分を責めるのをやめるってことは、そこに愛が生まれる土壌を造るってこと。
不安や怖れを凌駕する愛を育てるってこと。

だから、自然と自分が解放されていく。
オレがここで何を言いたいかっていうと、結局そういう気持ちのいい話をする人はここまで理由を伝えることができない、人が多いってこと。
だから、そういう人の話は人を変えることができない、ってこと。
夢を叶えるなら大事なことは、自分を責めないこと。
そして、その為にはいい同志、いいコミュニティと出会うこと。
人は自分1人だけでは自分が分からない。
人と真剣に向き合って初めて自分がどんな存在なのか?何者なのか?が分かってくる。
そして、そういう真剣に向き合える仲間と一緒だからこそ、夢が持ちたいとか何かを叶えていきたい、って気持ちが自然と生まれてくるわけ。
オレ達は1人じゃ弱い。だから、絶対にいいコミュニティでいい仲間を作った方がいい。
いいコミュニティでいい仲間と出会ったとき、自分がそこでどんな存在になるのか?ってことが大事になってくる。
いい出会いってのは、会うだけじゃなくて、そこから育んでナンボなのよ。

だからオレはパワーパーソンになってほしい、って何度も言う。
さっき「難」が「無」いから「無難」とか、「難」が「有」るから「有り難い」とか、色々と話したけど、その難だって怖れや不安の選択ばかりするから生まれるわけで、ずっと「難」ばかりじゃおかしくなっちゃうぜ。
だから、大事なのはいつでも愛に基づいた選択をすることで、その難が自分を成長させてくれたり、「活きる難」になったときに初めて難に感謝できるようになるんだ。
オレも何度も起きなくてもいい難を経験してきた。
でも、いまはわかる。
それを創ってきたのはオレだってことが。
自分を責め、他人を責め、社会を責め、怖れと不安から選択した結果の積み重ねが、難が続くという現実を生み出してしまった。
でも、自分が他人を勝たせるため、誰かに価値を与える為、愛を伝える為に生まれた愛なら、喜んで感謝して受け止められるものだと、オレは思う。

別に夢を否定してるわけじゃないし、夢を持つことがダメだと言ってるわけじゃない。
ただ、外から煽られた夢を持つことじゃなくて、
持たせたくなる「純粋な自分の姿を取り戻す」ことの真実を伝えたいんだ。
だから、夢なんてなくてもいい。
そもそも夢なんて外から持たせられるものじゃないし、夢を持ってる人間が偉いとか持ってない人がダメとかそんなことは一切ない。
持ちたければ持てばいいし、持ちたくなければ別に持たなくていい。
夢に答えや形なんてない。
いろんなことやって、いろんな人と出逢って、次々次々いって、気付いたら見つかるもの。
だから、大事なのは絶え間なく自分を愛することだけ。
そしたら、夢が何なのか?自分の内側から分かるはず。
皆さんのおかげさまで、「自分を愛する技術」の広がりも好調です。
ありがとうございます。
平和そうなこの国でも、愛の欠如のよって起きてる様々な悲しみがたくさんある。
それを少しでも減らし、喜びを増やすために…
つながって関わりあって世の中に愛を打ち込んでいこう。共に。
これからが愛の散布の本格的な始まりだ。しーゆー。
氣愛!
 
 
<「自分を愛する技術」特別インタビュー動画>
https://www.youtube.com/watch?v=qXVNVeRv-5w
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